dawnfall。

while。




今日はなんとか時間を確保して、先日に引き続き映画を観た。
「いつ観るべきか」と悩んでいた『ヒトラー ~最後の12日間~』だ。
あくまで映画は映画であり、これはドキュメンタリーでありながらそうでもない。
なのでアドルフ・ヒトラーという人物を知るには足らないかもしれないが
「こういう人物だったとしたら」という前提で考えをまとめていきたい。

※筆者は「何か」を肯定も支援もしませんし、そうした意図もありません。
 従って思想として、思想を持って糾弾される事は止めてください。

まず彼の人は「世界的な悪人」という、かなり周知された共通の認識がある。
それはホロコーストを行った独裁者というところからきていると考えるが
確かにその部分は悪人たらしめるものであろうと思われる。
筆者は歴史をよく知らないし、実際に見たり体験した訳でもないので
簡単に、ごく簡単に云えてしまうが、その事実自体は「許せる」ものではないだろう。
いや、それから云えば、彼の人がした行いは全てが許されないだろう。
ただ彼の人も人間であり、ニーチェの言葉を借りるのであれば
「人間的な、あまりに人間的な」人間だったと思うのです。

彼の人は、他の人と何も変わらず、本当に自分の祖国を想っていて
女性には敬意を払い、心の底から人を信じ労い
「その為に」厳しくあったのだと筆者は感じました。
厳しくある為ならば何をしても良いという事にはなりませんが
でもちょっとだけ想像してみて欲しい。
あなたが家庭を持ち、家を買い、そこで子供が生まれ
確固たる自分の守るべきものが出来た時に
そこへ(あなたから見て)あきらかな悪意を持った強盗が押し入ってきたとする。
強盗の右手には刃物が光り、家族は恐怖におののいている。
辺りを見渡せばなんとか武器になりそうなものはある。

さあ、あなたはどうする?

勇気があるかないかの問題ではない。
行動を起こしたかどうかの問題でもない。

「家族にもう愛がなかったので見捨てました」というのならアレだけれど
とにかく「守ろう」とするでしょう?
それが彼の人は個人レベルではなく国レベルだったと思うのです。
差別的な要素もあったのでしょうが、それは振れ幅の内。

……書けば書くほど、今にでも首に手が回ってきそうだ。

その尺度の稀有さが、彼の人をそう形容するしかなかったのでしょう。
いやだから、それを別に良いとはしていませんってば。

ただ彼の人はひどく孤独だったと思います。
ナチズムの「せい」ともとれるかもしれませんが
劇中でも出てきた台詞のように、「誰も理解しない」でしょうから。
理解されるものでもないし、またそれは理解「されていくもの」でもありませんが
もし本当に、「世の中を良くしよう」と思ったなら
行き着く先は「誰も理解出来ないところ」にしかありません。
だからこそ彼の人は彼の人たりえたのです。

「船頭多くして船山に上る」と云いますが
それを回避する為には、やはり「船頭は1人でないといけない」訳で
そうなると全ての責は1人で「負わなければいけなくなる」のです。
実際問題どうかではなくて。そんな事ないよって事もなくて。

全然まったく規模は違いますが、筆者も矢面に立つ立場なので
「右に行こう」と云って右へ行き、何かあれば
「だから左に行こうと思ってたのに」とか
「どう責任取るんだ」とか、「どうするつもりなんだ」とか
弁慶の立ち往生ではありませんが、それはそれは全て受けきらなければいけません。
別にそれに対して「おれのせいだけにすんなやボケ」と思いはしませんけれども
人間なんですから失敗もすれば苛立ちもするのはします。
それを命がかかったところでやってはいけないという理屈は解りますが
ならばやろうと思ってやる事がはたして出来るのかどうか、です。

自分は何もしていないと思います?

「頭」と「体」ってのは、つながっているんですよ。

それと、本当に本当に下手をすれば何か云われそうだけれど
「殺す」というのは、一体何が重要なのか?

例えばかわいいかわいい子犬を「そうする」とする。
これは非常に良くない。
これに異議を唱えない人はほぼいないだろう。
じゃあ戦争をしていたとして、その敵国の人間なら。
これは意見が分かれるかもしれない。
しかし戦時下でもなければ良しとはされないだろう。
では野生の動物ならどうか。
おかしいね、何かが「薄れる」ね。
食用の家畜なら? 魚なら? 昆虫なら? 植物なら?
どんどんどんどん「薄れる」ね。

ねえ、何か差はあるのかな。
「重要なもの」に差はあるのかな。

それはただの上澄みの拒否反応じゃないのかな。

現在の筆者の暮らしの中で、平和に手を汚さず
毎日何かを「食べられる」のは「どなたか」のおかげで
その為に何かを「殺して」いる人は大罪人なのか?
論点のすり替え? 違う違う。

論点はそこにしかない。

誤解を恐れずに云えば、彼の人は宗教で崇められる人達と変わらないと思うのです。
「人間」を導こうとすれば(正しいという意味ではなく)そうなります。
実験用の動物に何かを教える時、ちょっとした電気を流して「解らせる」でしょう?
「帰ってきたヒトラー」で、云う事を聞かない犬を撃ち殺したのがまさにそれです。
どこかのハロウィンみたいに、人が集まるとだんだん「あのように」なります。
「あれ」に対し呼びかけや説得など通じません。
通じたとしたら、それはもとから「そうなって」いません。
それらを正す為には「縊る」しかない。

話はそれますが、野球とかサッカーとかそうしたイベントとかで
集まって騒ぎ低俗化していく様が吐き気がするほどに嫌いだ。
解っていないと思うけれど、それは「楽しい」のではない。
群集心理でただ「何も考えなくて良くなっている」だけだ。
あれこそが人間の膿だ。

『だから正してやらねばならないのだ』

映画でヒトラーは最後に自殺します。
しかしあれは戦争に負けたからでも、誰かに裏切られたからでもない。
自分の夢が実現出来なくなってしまったからでもない。
ただ、「人を導く事は無理な事だ」と理解したからだと筆者は考えます。
だから幾許かのついて「これた」人間に対して
「私の事を恨むだろう」と云ったと感じました。
引いてきた手を途中で放してしまう訳ですから。

以前書いた事がありますが、仏様も最初に悟った事は
「悟らせる事は無理な事だ」という事だと聞きました。
別にたった1人の人間が特別な訳ではありません。
「のまれる」人間が多過ぎるだけなのです。
「そうでなくなれば」彼の人は1人の人間になれたはず。

と、最後にまた釘を刺しておきますが
「側面の1つ」と仮定して書いただけですので
過剰な反応はされないようにお願いします。

「あんたが何を知っているんだ!?」と云われたらぐうの音も出ませんが
それでも伝えたい、感じた部分があったんです。

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by ryu-cat | 2018-10-29 20:59 | 日常雑記 | Comments(0)


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