beep。

けたたましく鳴る、終わりの音。



先月の30日は待ちに待った漫画の発売日だった。
浅野いにおさんの「ソラニン 新装版」だ。
11年前の続きとなる話が収録されているという事で
一体あれからどうなっているのかすごく興味があった。
読んでみた結果……普通だった。
決して面白くないとかありきたりという訳ではない。
当然のように、11年が過ぎていた。
種田が死んだ事も時間が解決してしまっていて
勿論忘れてはいないのだろうけれど
それはそれ、これはこれで、当たり前に皆生きていた。
人間は強いのか逞しいのか。
背負っていくものは、選ばないといけないのかな。
あれもこれもは零れ落ちるもの。

そう、零れ落ちる。

実は30日に、浅野いにおさんは単行本をもうひとつ発売されている。
それが「零落」。
筆者は漫画は単行本で集め読み進める人間なので
正直なところこの「零落」が連載されている事すら知らなかった。
ソラニン新装版のあとがきで、「ソラニンと対照的」と
浅野いにおさんが書かれていたので、怖いもの見たさで恐る恐る読み始めた。

……太宰治の「人間失格」や
浅野いにおさんの別の作品を読んだ時もそうだったけれど
「どうして物語の主人公と自分が重なってしまうのだろうか?」と感じる。
持論ではあるが、筆者は神様も仏様も偉人も皆同じだと思っている。
云い方が違うだけで、見方が違うだけで
見付けて見つめた「もの」は共通しているんだ。
ただ解釈が違うだけ。違いはそれだけ。
それと同じように、死ぬほど苦しんだり考える事というのも
行き着く先は同じものなんじゃないかと前から考えている。
それは別に「気付いたからといってすごい訳じゃない」とか
「皆同じ悩みを持っているんだから」という揚げ足取りではなく
それらしく云えば真理というか、人間が考えなければいけない事が
「そこ」に集中しているだけという理由だと思うんだけれど。

ともかく、「零落」は筆者の、いや、「筆者のような人」の
自己表現と葛藤の全てに思える作品だと感じた。

筆者がここでそれこそ同じように12年間ずっと言葉をこねくり回してきたけれど
やっと一筋の光が見えたというか、「落としどころ」が見付かったというか
自分の辿り着いた答えと場所が間違ってはいないものなのかも知れないと思えた。
そしてそれは決して世の中にも、また他人にも理解されないものであるけれど
ようやく筆者の正体を露わにするものだという事は間違いないんだ。
そう、自分で立証して、他人が確証を得たんだ。
筆者が筆者を定義せしめる唯一の言葉。


見紛う事なき『化け物』だと。


筆者に絵心が在ったなら、と悔やまれてならない。
どういった「もの」か描く事が出来たのに。
そうだな、両手は手というより「爪」だろう。
掴んだりは出来ず、裂く事にのみ使える。
顔はきっと獣のそれだ。
獣が妖怪にでも成ったような「それ」だ。
上半身と下半身は大きさのバランスが違う。
上半身が異常に大きく、下半身は人間と相違ない。
そして全身を毛というか黒い何かが覆っている。
尻尾などはない。だが、ただただ醜い。

筆者の「これ」がセンチメンタルなら。
センチメンタルであってくれたなら、まだ救われる。
救ってもらう事が出来る。
でも、そうじゃないんだよ。
本当に本当に認めたくはないんだけれど
呼吸をするように人を傷付ける存在が居るんだよ。
まるで戦争の最中、敵兵を殺す行為のようだ。
咎められる事のない日常的な罪。
そこで存在する限り、「そうしてしまう」。
それを止める手段はひとつしかない。
ひとつしか。

こんな「もの」の考えは誰にも解らない。
「解るはずがない」じゃなくて「解れない」。

気付かないと解れない。
そして気付いたら終わり。
そのレールから外れる事は出来ない。
どれだけ悲しくても。
どれだけ寂しくても。

手を、伸ばせないんだ。

筆者の中では毎日「化け物」が世界を壊す。
それを毎日「筆者」が組み立て直す。
賽の河原の石積が個人の中で行われているんだ。
自分の寿命を削っているのかも知れない。

筆者はどこかで「落ちぶれた」のだろうか。

そうだったら、最後は人間として死ねるのかな。
他人を理解する事が出来るのかな……。

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by ryu-cat | 2017-11-05 23:43 | 日常雑記 | Comments(0)


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