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才能。

あるのかないのか。



もう10年程ギターを弾いてるわけですが
弾いていても全然楽しくなくなってきて
いい加減止めた方がいいんじゃないかと思ってきている。

勿論練習は楽しい事ばかりじゃないし
それが楽しく思えない理由ではない。

例えば、サッカーが好きな子が居るとしよう。

その子は毎日ボールに触って
練習を欠かさず続けていた。

そして、やっと人並みにドリブルができるようになった。

16歳から練習を始めて、ドリブルができるようになったのが26歳。
10年かかって、できるようになったのはドリブルだけ。

まだまだパスもシュートもできない。

この子は果たして才能があるのか?
「続けられる事が才能」と、まずそれを思うだろう。

確かにそれは一種の才能。

でも「サッカーの才能」は?

もしかしたら、ドリブルは苦手で時間がかかったのかもしれない。
パスやシュートは簡単にマスターしてしまうかもしれない。

かもしれないけど、これで「サッカーの才能がある」とは云われないだろう。

他人ができる事は「物理的には誰でも可能」だ。

それは「誰にでもできる」という意味ではなく
人間がそれだけのポテンシャルを持っているという事。

しかし、できたからといって「才能がある」とはならない。

才能というのは「どれだけ理解できるか」という事じゃないだろうか。

成し遂げようとしている事、それをやろうとしている自分
そのために必要な過程と意識。
これらを上手く整理できる事が「才能」のように思える。

それを理解できるように、まずは「自分取扱説明書」を書いてみたけど
全然自分の才能が見えてこなくて、もうお手上げ状態。

できない・分からないのは仕方がない。
だからといって、しない・分かろうとしないのはいけない。
そこで、やってみよう、理解してみようとしてみて
それでも無理ならば、それは自分に向いてないんじゃないだろうか。

才能は言い換えればセンスのようなもので
そこには合う合わないがあるものだと思う。

物理的にはいくら可能でも、体を動かす脳
つまり、思考は確実に個個のものでしかないから
そこで引っかかってしまうと、どうしようもない気がする。

誰かに教えてもらえばいいのかもしれないけど
それも結局「物理的に可能な範囲」までにしかならない気がして。

いや、おれがそう思うからそうなるのかもしれないが・・・。

おれの「才能」は、一体何だ。

最近は、ギターを持っても指が無くなったかのように動かない。
手首から先に、自分の意思を感じられない。

これでまだ、ある程度弾けるのならば楽しみもあるものの
本当に「弾ける」というレベルになく、むしろ退化していっている。

一番好きな事ができないこの状態。

どう打開したものか・・・。
by ryu-cat | 2008-12-05 23:37 | 日常雑記 | Comments(0)


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