冷血論理。

冷徹には、まだ程遠く。



「手の冷たい人は、心が温かい」という話を聞いた事はありませんか?
心が科学的に検証できない今、それは迷信かもしれないし
本当にそうなのかもしれないけれど、これに当て嵌めると
おれは、心が温かい人という事になってしまう。

が、おれは手も冷たければ、心も冷たい人間なわけで。

話は変わるけど、おれがいつもしている考え方があって
言葉にするなら、超客観的思考とでも言えばいいのか
例えば、誰かと口喧嘩になってしまったとして
相手の意見を聞きつつ、自分の意見も考え
さらに、その2つの意見を聞いて考えている自分を想像して
その想像した自分に対する意見を考えるって考え方なのよね。

元元この考え方を思い付いたのは
ある種のフィルターのように、自分の意見に対する疑いを持つ事で
過剰な感情や、投げ遣りな言葉をろ過してしまおうと思ったから。

そしてこの超客観的思考は、基本的に聞き役なおれの性格もあり
相手に罵詈雑言を浴びせる事なく、落ち着いて話し合いができるんだけど
最近この考え方をしてると、自分がとても冷たい奴に思えるのさ。

この考え方は、自分を客観的に見る事が前提だから
自分の嫌なところがそれはもう沢山分かるのよ。
そう、自分自身がフィルターの役割を果たすから
ろ過された後の「もの」は、全て自分で見て処理しないといけない。

その処理の段階で、自分の冷たさを見付ける。
仮に一瞬でも「ああ、こんな事思ってしまったんやなぁ」と。

勿論、そういう考えは誰にでもある事ではあるが。

ただ、おれのそれは、人よりも一層冷たく
何かがゴッソリ抜け落ちたようなものが多いのです。

さて、困ったもんだ。

と、普通に認識できてしまう事こそ、やはり冷血だという証なんだろうね。

どこかで感情は売っていませんか。

どなたか拾ってくれていたりはしませんか。
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by ryu-cat | 2008-05-29 21:24 | 日常雑記 | Comments(0)


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