from the cradle to the grave。

世界が嫌なら変わるか死ぬかしかない。



筆者はひどいペシミストだ。いや、ペシミストになった、が正しい。
このブログを始めて8月6日で12年になった。
その間延々と自分を呪い蔑み続け、孤独になるよう伏線を張り
すべての伏線をきっちり回収して今や望んだ通りの環境を手に入れてしまった。
自分も他人も嫌いになって、出来る限り何にも関わらないよう努め
筆者は全てを蚊帳の外から物語でも観るようにして生活している。
そうしてみて痛感する事が、筆者は大事な価値の在る歯車だけれど
決して筆者だからという意味の在る歯車ではない、という事だ。
自分が居なくなっても誰も困らない、なんて月並みな云い方だけれど
困りはするが、本当にいくらでも替えがきくと冷静に思うんです。
そしてもう一つ思うのが、筆者はただの子供だという事。
ペシミストだなんてそれっぽく云ったけれども
要するに、自分の思い通りにいかないから駄々をこねているだけなんです。
ただ、筆者には何も解らないんです。
多分まだ幼稚園児とあまり変わらないレベルなんでしょう。
昆虫を捕まえて遊んで殺してしまったりしても「どうしてか解らない」
良く云えば無邪気ですが、つまりは無知なんだと思います。
そしてその解らない事が罪悪感として毎日全身を貫くような痛みをもたらす。
例え今地獄に落とされて拷問されたとしても、あまり代わり映えしない気がする。
こちとら生まれた時から否定されて考え続けているんだから。
でも本当に、とても悔しいけれども、それだけが唯一の真実だという現実は変わらない。
生まれてさえこなければ後悔する事もなかったし
両親に対しても、そういう事を考える子供に育ってしまったと思わせなくて済む。
何もかもなかった事に出来てしまえたのに。
生まれてしまった時点でつながりは出来てしまう。
そのつながりを切る時、相手に痛みを与えてしまう。
その為につながりは切れないから苦しみも続いてしまう。
筆者はもう、生まれてから死ぬまでこうなる事が決まっていたのかも知れない。
人と人との触れ合いを見ると涙が出る。
それを無下にするクズを見ると排除するべきだと思ってしまう。
そして触れ合えず与えれず無下にする自分を見るといたたまれなくなる。
別に誰も自分を否定しない。
「世界」は外ではなく内に在る。
自分も他人も呪ってはいけない。
頭では言葉では解っているつもりだけれど、手を伸ばす事が出来ない。
これはもう、「治るつもりのない病気」なんだ。
ここにたまに書きなぐる事でしか延命出来ない病気なんだ。
そうやって12年生きてきたんだろう。
素晴らしい事も反吐が出るほど汚い事も優しい事もクソみたいな事も
もうこの体は受け入れる事が出来ない。
どうせいつか終わるのなら、ぎりぎりまだ惜しまれる間に終わりたい。
あと20年も経てば、きっと筆者は本当に誰の記憶にも残らないだろうから。
何かを残して、出来れば音楽が良いけれど
それを誰かがアレンジしたりして別の作品になって
そうやって筆者の欠片でも残っていけば別に生きている必要はない。
誰かの中で生きれさえすれば、それが筆者の本懐だから。

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by ryu-cat | 2017-08-07 23:33 | 日常雑記 | Comments(0)


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