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スコアはつけてくれなくて良い。



前から名前は知っていて、一曲だけ聴いた事が在った岡崎体育さん。
その一曲も話題になった時にちょっと聴いて
「おもしろい曲作る人だなぁ」と思った程度だったけれど
YouTubeでMVをハシゴしている内に「あ、物凄く音楽を研究している」と思って
気付けば何回も聴いてしまうようになっていました。
とにかく表現の幅が広い。
さらにそれぞれの「コツ」みたいなものを知り尽くしている気がする。
なので思う事を思うように表現出来ている、と勝手に一種の憧れを抱いてしまう。
多分これは才能じゃなく、と云っても才能がないという意味ではなく
突き詰めて確立させたものじゃないんだろうか。

さて、とりあえず文字ばかりでもつまらないので一番新しい曲を載せてみる。
「式」という一言の曲。


人間の一生を4分と少しに詰め込んだ、まるで走馬灯のような曲。
ピアノの伴奏で歌詞が胸に染み入ってくる。
話が逸れるけれど、MVの雰囲気がミドリカワ書房さんの「母さん」を思い出させる。


今の一曲だけなら、こういう曲を作る人なんだと思うけれど、そこは岡崎体育さん。


ガッツリとロックもやるんだと思いきや180度コロッと変えたり


あれ? やっぱりちゃんとしたアーティストみたいな曲なんじゃんと思わせて


さらに真逆な曲を歌ったり。
もうどういう人か解らなくなってきたところで


ホントにどういう事?ってな曲を作ったり。
上のはリリースの順番なんかはバラバラだけれど
とりあえず話題になったのは次の曲ですね。


ただ聴いているだけだと、今の曲とか空耳みたいな曲なんかは面白いで終わるけれど
実際のところ、全部猿真似じゃあとてもじゃないけど作れない曲ばかりだと思う。
どういうものがロックとして「受け入れられているか」とか
どういうものが英語として「聞こえるのか」とか
思いついて遊びで作っているものが一つもない気がして仕方がない。
「FRIENDS」なんかは勘違いされやすいけれど馬鹿にしている訳ではなくて
「感情のピクセル」でも岡崎体育さん自身Twitterでけっこう落ち込んでいた。
例えば言葉を選べば良かったかも知れない。
ただそうして云わなければ、思っていないのと同じになるのだろうか?
思っている事を云ってはいけないのだろうか。
筆者もわざとそういう事を書くし、知らずと書いてしまったりもするけれど
どうしてご機嫌取りをして表現をしなければいけないのかについては理解出来ない。
嫌なら見るな聞くなとは云わない。
その言葉一つが与える影響などは考えるべき事だとは思う。
しかしその結果を受け入れようと思っているのならば
助言は有難いとしても指図される謂れは無い。
表現出来ないのなら死んだ方がマシだ。今もう半分死んでいるけれど。
いや半分じゃなくて8割ぐらいか。どうでもいいか。

とにかく聴く度に「なるほどなぁ」と感心させられる人です。
どう入力してどう出力しているんだろう。
友達になってみたいなぁ。そこら辺歩いていないかな。

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by ryu-cat | 2017-06-16 23:54 | 日常雑記 | Comments(0)


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