目には目、歯には歯。

手には手、足には足。



「目には目を」と云うとまるで復讐のよう、というか
恐らく復讐の言葉だと思っている人が大半ではないだろうか。

しかしこの言葉は実は聖書の一節である。

口語訳聖書の第21章にこうある。


もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば
ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ
裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。
しかし、ほかの害がある時は、命には命
目には目、歯には歯、手には手、足には足
焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。
もし人が自分の男奴隷の片目、または女奴隷の片目を撃ち、これをつぶすならば
その目のためにこれを自由の身として去らせなければならない。
また、もしその男奴隷の一本の歯、またはその女奴隷の一本の歯を撃ち落すならば
その歯のためにこれを自由の身として去らせなければならない。


以上のように、「やられたらやり返す」というような復讐の言葉では全くない。
むしろ復讐に歯止めをかけるための言葉だ。

つまり、乱暴な云い方だけど、殴られたなら殴っても構わない。
でも、殴られたからといって殺してしまってはいけない。
同じように手足を折られたなら手足を折っても構わないが
手足を折る以上の事はしてはならない。

された以上の事はしてはならないし、した事はされても仕方が無いのだ。

ハムラビ法典の中では簡単に云えば法律として出てくる言葉でもあるが
現代社会では今やこうした法はほとんど適用されない。

しかし最近のニュースを見ていると
こうした法の適用を考える事も辞さないのではないか、と思う。

例えば人を故意に殺害または自殺に追い込んだなどした場合
未成年であろうと実名を公表し社会的に「殺して」しまっても構わないのじゃないかと考える。

人の人生を狂わせておいて自分の人生は無傷で済ますというのは対等ではない。

痛みを知る為には経験するしかない。
考えて解るものではない。考えて解るのであればしないのだから。

台無しにしたのなら台無しにされるべきだ。

そうした覚悟で生きていくべきだ。

そうでもしないとクズな遺伝子がどんどん濃くなってしまう。
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by ryu-cat | 2014-02-28 23:36 | 日常雑記 | Comments(0)


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