one life。

全てのものに十分の魂。



筆者が勤めているお寺には霊園が在ります。

お寺なんだから霊園くらい在ってもおかしくはありませんが
無縁仏さんが合祀されている場所であるお墓を発見しました。

それは家畜のお墓。

一応石碑で作られてはいるものの非常に簡素で小さく
誰も在る事を知らないのか苔がびっしり。

関係者の居ない無縁仏さんの場所の隅っこという境遇のせいか
作っただけで放置されていたような感じがしました。

毎日お坊さんが無縁仏さんにお経を上げるのですが
恐らくあのお墓に向かっては、お経を上げていないでしょう。

そう考えるとかわいそうになったので、発見してからは
筆者がお水を上げたり要らなくなったお花を供えたりしています。

そうしてお墓にお水をかけている時にふと思いました。

「家畜というけれど、どうして人間は人間以外に対して同じ動物であろうとしないのか?」

人間は人間に何かあるとヒステリーを起こします。

そしてそのヒステリーの原因が他の動物にあった場合
少しの容赦も躊躇も無くそれを徹底的に殺します。

何故同じ動物に対し圧倒する事を戸惑わないのか。
それは多分、人間だけが知的生命体だと思っているからだと思います。

よく云うでしょう? 「地球外生命体」とか「地球外知的生命体」だとか。

人間は、人間だけが唯一の生命体で知性を持っていると疑わない。

いや、「認めない」というのが正しいか。

昆虫とか植物とか、特に知的生命体と認識され難いものは
恐らくはその機械的行動に原因があるのでしょう。

千切れば体液や水分などが出てきますが痛がる訳でもなく
ただただ状況に対応して行動する。

でも、これって人間も全く同じですよね。

ただ繁殖してるだけでしょう。

その繁殖の途中で何かを作ったりしているだけで、それだけで大きい顔をしている。

何が偉いのか、どこが知性を持ち合わせているのか皆目解りません。

「頑張ったり結果を残している人に失礼だ!」と思ったら考え方を改めて下さい。
そういう人達は論外です。「こういう話の論外」です。

この話はパレートの法則で云うところの八割に対する話です。

例えば、この動画を見て下さい。



あの事故の後放置された家畜です。

かわいそうに死んでしまっています。

「ちゃんと生きていた」動物です。
筆者は遺体を数百という数で見てきましたが、死体から出る雰囲気は人間と何も変わりません。

こうなったものを人間は喜んで食べるのですが。

さて、この動画の牛達を頭の中で全て人間に置き換えてみて下さい。
どうしてかは解りませんけれど、「とても悲惨なもの」に思えてしまいますね?

同じ動物が同じ場所で同じように死んでいるだけなのに。

どうして人間は愛想が尽きるほどに保身的なのか。

首を落とし、解体して、これは美味いあれは不味いと選んで食っているんです。

人間の姿をしていなければ、人間と同じものでも食べるんです。
それは人間を食べているようなものだというのに。

食べないと死ぬようになっているのだから食べなければいけない。
だから食べるのは構わない。それを咎める事は出来ない。

ただ何でもかんでも人間が優先ではないと思い知らされなければいけない。

宇宙人が攻めてきて人間を殺して捕まえて食べるなんて映画だとありきたりだけれど
そんな恐怖を常に同じ動物に対して与えていると認識しなければいけない。

常に心を痛めろとか反省しろとか後悔しろなんて云わない。

そんな事を云うのは、ニュースで自国民が死んだと知った時に「だけ」悲しむ馬鹿だ。

さっきの動画を見て悲しむのなら、悲しめるのなら
お願いだから常にそういう事が在るんだと「きちんと」認識して欲しい。

自分がどういう動物なのか考えてみて欲しい。

どれだけ頑張っても、人間はきっとこのままだ。

でも、「そうじゃない人間」の質、やれる事の質、そういうものは向上していける。

何を追いやり、何を弄び、何を食べ、何を考え、何をしているのか。

人間はどうして器用な手がついている?

人間はどうして色んな地形に対応出来る足がついている?

人間はどうして自由に考えれるように脳が出来ている?

人間はどうして感情が判別し易くなっている?

人間はどうしてここまで畜生に出来ている?

人間は人間の為に存在しているんじゃない。

思い出せ、考えろ。いい加減にしておくのは早い方が良い。
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by ryu-cat | 2012-03-27 20:39 | 日常雑記 | Comments(0)


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