勧善懲悪。

懲らしめられるべきは、善悪か、正邪か。



ある店で、おじさんが商品を手に持ったまま会計を済ませずに店を出た。

偶然それを発見したおばさんが「万引きだ」と思っておじさんを追い、話しかけた。

おじさんは「うっかり持ち出してしまっただけだ」と説明をした。

しかしおばさんの目には万引きにしか映らず、大きな声で店員を呼んだ。

おじさんは店員達の手で床に押さえ付けられ、大怪我を負った。

「本当にうっかりしていただけ」だという事実は誰も知る事は無く
おばさんの発見に因り、「万引き」は捕まえられた。

さて、誰が「悪い」でしょうか?

考えるまでもない。

『誰も悪くない』

「間違えられるような事をするおじさんが悪い」というのは論外。
「間違えたおばさんが悪い」なども然り。

そりゃ間違えられるし間違えるし怪我も負わせてしまうさ。

この話には、「悪意」が存在しません。
しかし、悪意の代わりに存在するものが在ります。

「正義」です。

そう、おばさんの「万引きは捕まえなければいけない」という正義。

いえ、言葉を変えて云いましょう。

「自分の意に反する事は糾弾しなければいけない」という「間違った正義感」です。

「正義感」というのも可笑しいですね。
つまりは思い込みです。

思い込みと云っても、おばさんの行為が正しくないと云う訳ではありませんよ。
「正義」が存在している事が「宜しくない」だけです。

以前にも書きましたが、「正義」を決めると「悪」が決定してしまうのです。

「世界の終わり」の「天使と悪魔」という曲について書いた時でしたかね。
あの時は筆者の云いたい事が誰にも伝わらなかった。

つまり、おばさんがおじさんを「悪」と決め付けた事に因って、おじさんは「悪」とされたのです。

──いやいや、だからおばさんは悪くないんだってば。

勘違いは決して責めてはいけない。
知らないのだから仕方が無いでしょう。

ただ、おばさんが正義を「むやみに」行使してしまっただけ。

「してしまった」というより、「しやがった」と云いたい。

何を正とし何を邪とし、何を善とし何を悪としようが個人の勝手です。
まあ、勝手というよりも、そういう事は「決めておかなければいけない」のだけれど。

だから、おばさんがおじさんをどう思おうが構いません。

が、しかし、「それが正しい」と声に出してしまう事は許されてはいけない。

おばさんの「いけないところ」は、その意味を『考えず』に実行してしまったところにある。

伝わるかなぁ。

例えば、人の迷惑を考えずに自分の好きなように行動する人間みたいに
「自分は悪い事をしていない」という「無自覚さ」を振り回すような感じ。

そして、そこに「正しい」とか「正しくない」という言葉を当てはめて「それらしく」正当化する。

「常識とは、十八歳までに身に付けた偏見のコレクションである」
アインシュタインがこう云っていたけれど、その偏見に合わないものを人間は「悪」にしたがる。

「私が、万引きと思ったから、それは万引きに『違いない』のよ!」

簡単に云えば、おばさんが云ったのはこういう事だ。
お店の為だとか、犯罪は駄目だとか、そんな事ではない。微塵もない。

──だから、おばさんは悪くないっつってんだろ。
「悪い」とかそういう事を「決めてしまう」から、「正義」と「悪」に分かれるんじゃないか!

『どうして誰もその事に気が付かない!?』

なあんてね。

気付いていない方が居ない訳は無いだろうけれど
八割か九割は気付いていないのではないだろうか。

「天使と悪魔」を聴いて「いじめは正義か」と思えないなら、多分気付いていないかも知れない。

まあ、そんな基準はどうでも良い。

ちなみに、このおじさんとおばさんの話は「おやすみプンプン」九巻の一部です。

悲しい勘違いとか誤解とか、そういう事は原因や理由なんてどうでも構わない。
決め付けさえしなければ、いくらでも修正は出来るのだから。

良いと思うなら良い、駄目だと思うなら駄目。

『ただそれだけで良い』

納得出来ない事は非常に多いだろうけれど、だからといって相手を鎮圧する必要は皆無だ。

気になる事は尋ねて、それから「口が裂けるまで黙れ」
「あえて言葉にしない」という事がどれだけ大事か、まず思い知ると良いかも知れない。

言葉を出すのはそれから。

これだけ沢山の文章を書いてしまった筆者が云える台詞じゃないけれどさ。
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by ryu-cat | 2011-11-01 22:32 | 日常雑記 | Comments(0)


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