scale。

物差しは「推し量って」使うものだ、と思う。



「親身になって話を聞く」という事は、同情して話を聞く事とは違う。

親身に成るというのは、相手の「物差し」を借りる事ではないか。

一言一句聞き漏らす事無く相手の言葉を頭に入れたとしても
自分の物差しを使って話すのであれば、それは全くの無意味と化す。

「会話をする」という行為において「自分だけの考え」は、どう考えても不必要だ。

問題について「どう思ったかという感想」は解決に結び付かない。

「問題からの視点では、どう見えるのだろうか?」と考えなければ。

「自分の物差しで他人を計るな!」などと云うけれど
その言葉自体がすでに物差しで在ると筆者は思う。

自分だけの事を決めるのであれば、自分の物差しはフル活用するべきだけれど。

物差し自体の存在を否定する訳ではない。
むしろ物差しは無いと困る。「比較」する事が出来ないから。

比べてどちらが優れているかどうかを決めるのではなく
あくまで純粋に「差異」を見付ける為に必要になる。

前回も書いたけれど、筆者は何も特別ではないし、筆者だけが抱えている事も無い。

人間というもの全てが、等しくこうなる、もしくはこうである。

ただ、だからといって違いが無いという事にはならない。

大事にしていた物を無くして、落ち込むだけの人も居れば、それで死ぬ人だって居るだろう。

両者にかける言葉は、「自分なら落ち込む、落ち込まない」という「感想」ではない。

その世界を理解しようと試み、「相手の物差しで自分を計ってみる事」が大事ではないだろうか。

自分の物差しで相手を計るのは無意味だけれど
相手の物差しで自分を計ってみるのは、大いに価値が在ると思う。

まあ、自分だけがそういう事をしても仕方が無いのだけれどね。

お互いがそうしないと、その問題の領域が生成出来ない。

話をする場所は、「こっち」でも「そっち」でも無い。

──などと「解りきって『いるような』話」をしてみたり。

いやね、たまになのだけれど、「何が楽しくて生きているの?」とか聞く人間が居てね。
「何か楽しくて生きている」とでも思っているところが下らなくて。

無神経だと云うつもりはないけれど、投げつけられる物差しがとても鬱陶しい。

おまえの価値観なんて知らねぇよ。

まったく、普通に振る舞うと誤解ばかりされてしまう。

いや、違う。違うんだ。
こんな事を長々と書く気は無かったんだ。

単にSimple Planの曲を載せたかっただけだったのに。

……でもね、自分の物差しを「こんなものは使えない」と折られた時の気持ちは、こんな感じ。

曲名は「Astronaut」
「宇宙飛行士」という意味です。



何も無い世界に浮いているだけのような現実。
足を着けれる場所が見付からないのは堪らないよ。

頼みのSOSも届かないんだから。
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by ryu-cat | 2011-10-12 21:52 | 日常雑記 | Comments(0)


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