こころ。

「それ」こそが──。



結構前になるのだけれど、夏目漱石の「こころ」を購入しました。

このところ睡魔に読書の時間を奪われ、読み進める事が出来なかったのですが
つい先日読破しましたので、今日は、その「こころ」について書きたいと思います。

感想──というものは嫌いですので、「印象」を伝えましょう。

「こころ」は「人間失格」であります。

失礼を承知で言葉にするのであれば、「こころ」は「人間失格」の入門です。

「易しい」という意味で。

形式が違うと云う方が簡単でしょうか。
違いは「昔々あるところに・・・・・・」と始まるか否かにあります。

桃太郎ではありませんから、実際その言葉通りに始まる訳ではありませんよ。

「吐露」するのか「語る」のか、という事です。
「人間失格」は主人公が語りますが、「こころ」は主人公を語る。

この視点の違いだけで、同じ「もの」がこうも全く違ってくるとは。

「視点の違いだけ」や「同じ」とは書いていますが、細かいつっこみは無しでお願いします。
この点について「こういう意味ではないですよ」と説明するのは面倒ですので。

もしもここで「その点について云いたい、説明をしろ」という方が居たらブラウザの「戻る」をクリック。

言葉遣いが悪いので誤解されても仕方がないのですが
そこで引っ掛かる方は、この先筆者が書く事を何一つ理解出来ないと思います。

えっと、決して喧嘩を売っている訳でも見下している訳でもなくですね・・・・・・。

ああ、ほら、やはり面倒だ。もう書き進めます。

つまり、「大庭葉蔵」と「先生」は「同じ性質の人間」なのです。
もっとも、本来は「誰も彼も全員同じである」のだけれど。

同じとは人間の弱さ?

人間の汚さ?

自意識過剰な書き方をすれば、大体の方がそう思うのでしょう。
また、それは別段間違いではありません。

しかし、そんな「上澄み」など舐めていても何も解りはしません。

怒られるかも知れない事を書きますが、読んだ方がどう思ったのかを知りたくて
「感想」を検索していくつか読んでみましたが、皆この「上澄み」で満足しているのです。

いえ、もしかしたら、言葉にしていないだけで沈殿した「もの」を見付けているのかも知れませんが
それならそれで、どうして「それ」を見付けたと誰も書いていないのか。

「面白かった」とか「印象的だった」という抽象的な言葉ばかり。

勿論筆者が何もかも解っているとは云いません。

むしろ知識に関して云えば筆者など何も知らないに等しい。

では、何が解っていないと云いたいのか。

「人間失格」と「こころ」に通じる「自殺」についてです。

「苦しいから自殺したんでしょう?」「絶望して自殺したんだろう?」

ええ、それはそうでしょう。それ「も」あるでしょう。
ただ、それは「上澄み」です。

「強いて云うのであれば」それも挙げれるというだけ。

これは筆者の考え──というより生き方なのですが、「本当に死ぬ理由はそれではない」のです。
「その理由で死ねたらどれだけ楽だろう」と何回思った事でしょうか。

「こころ」の中に、こんな一言が在ります。

『もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう』
※「こころ」は著作権が消滅しているので引用しました。

こう思いながら生きる事が「自殺」であるのです。

「もっと早く死んでおけば良かった」という簡単な意味ではありません。

「それ」に気付いた瞬間、人間はもう人間として生きていけなくなるのですから。

自分は人間なのに、人間では無くなっていた。
それに気付いた時、人間である貴方はどう「生きて」いきますか?

いえ、それでも「生きて」いけますか?

「それでも生きなければいけない!」

・・・・・・素晴らしい! 貴方はそうして立派に生きていって下さい!
嫌味でも何でもありません、筆者は心からそう思います!

──そうして生きられない成れの果てが筆者なのですよ。

「誰でも失敗はするよ」「間違えたって仕方ないさ」

違うのです、違うのです。

本当にありがたい言葉なのは涙が出るほどに解るのですが、違うのです。

息をする度に涙が出て声が漏れ、口から食道、そして肺に針を流し込まれるような感覚。
この感覚が解らない限り、そのありがたい一言さえも流し込まれる針の一本と化すのです。

そして、この感覚が数時間、数日、数ヶ月、数年と続く事が、人間では「無くなった」証拠。

ですが、だからと云って「自殺」する訳ではありません。
これに耐える事が「自殺」に成るのですから。

「事切れる」のは、この最後に在る終止符なだけだと思います。

文章を書けば「。」をつけるように、自然にそう成るのでしょうか。

「自殺」というもの全てを軽んじる書き方をしましたが悪しからず。

言い訳ではありませんが、「自殺」に関しては、筆者は割と「きちんと考えて」います。

その為の伏線は「びっしり張られている」訳で。

筆者が辞めれば良いような職場で勤め続けたり、そういう仕事を選ぶのもそれです。
筆者は「過労死」という形で「仕方なく死ぬつもり」だったのですから。

これこそ本当に怒られてしまいそうですが、筆者の気持ちを汲んで堪えて下さい。

「そんな事を続けていたら、そりゃあ死ぬよ」と云われ、何気無くフェードアウトしたかったのです。

ただ、思った以上に体が丈夫で上手くいきませんでしたが。

それからは、そうした手段は止めにしました。
「伏線」がびっしり残っているので、それなりに困る生活に成りましたけれど。

「生きる」という事がどういう事なのか。「死ぬ」という事がどういう事なのか。

文字にすると偽善だらけのクソテレビ番組司会者みたいな言葉に成りますが
「生きる」事だけが正しい、または輝かしいとするのはどうなのでしょうか。

「死ぬ」事を肯定しろと云っている訳ではありません。

目を背けるなと云う訳ではありません。

筆者が、貴方が、彼が、彼女が、人間が一体何を「内包」しているのか。
それを「知ったか振り」して「生きる」とどうなるのかを考えてみて欲しいのです。

そうして「こころ」は貴方を生かすか殺すか。

そこが「人間」で在れるかどうかの分かれ目に成ると、筆者は考えます。

最後に。

記事中に他人をけなす、生死を軽んじる、高慢な言葉遣いをするなど
そうした表現がありました事を深くお詫び申し上げます。

ごめんなさい。
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by ryu-cat | 2011-07-14 21:53 | 日常雑記 | Comments(0)


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