morality。

「偽」援に成らぬように。



今週の火曜日に新しい携帯電話を購入しました。
購入したのは、PRO seriesのL-03C。

前機種がカメラ特化のSO905iCSだったのだけれど
今回もまた、カメラ特化の機種を選びました。

数日間使ってみての感想を──と云いたいところですが
それよりも、今だからこそ書いておきたい事が。

東日本大震災が発生してから、今日で二十一日。

まだまだ連日のニュースが絶えませんが
西日本は少しずつ平常に返りつつあります。

被災地ではない西日本は、会社も在れば仕事も在りますし
子供達は学校に行き、主婦の皆さんは家事や買い物を済ませます。

いくら心を痛めても日常は変わっていませんので
人ごみに流されるように、元の流れに戻っていきます。

それを不謹慎と云う方もいらっしゃるでしょう。

しかし、自身に起こっていなければ現実とは受け止め難く
どうしても実際に体験されている方々と同じように感じる事が難しくなると思います。

筆者も「こんな時にケータイ買いましたとかなぁ・・・・・・」と一瞬思いましたが
「買って、その事を書きたく思って何が悪い?」と疑問に感じ
こうしてキーボードを叩いている次第でございます。

確かに、家族や家を失い、明日の心配をしながら眠れぬ夜を過ごされている時に
何の心配もなく(心配事がない訳ではありませんが・・・・・・)ネットを見たり
「明日仕事行ったら休みだー」と、のんきな事を考えている筆者は不謹慎でしょう。

では、一体どうすれば不謹慎ではなくなるのでしょうか?

「そういう問題ではない」という声が聞こえてきそうですが
筆者には「そういう問題でしかない」と思えて仕方がないのです。

足しになるようにと節電・節水を心掛けたり、義援金や物資を送れば良いのでしょうか?
困っている方が居るから、一緒になって困れば良いのでしょうか?
不幸に遭われた方の為に、自らも不幸で在れば良いでしょうか?

そうしない人は、被災者の事を考えない、不謹慎者なのでしょうか?

各地での募金活動、大変素晴らしい事だと思います。
海外からの救援、言葉に出来ない気持ちでいっぱいになりそうです。
それぞれが出来る事を出来るだけする。
本当に、それが大切な事だと筆者は思います。

が、しかし。

人は出来る事が在れば出来ない事も在ります。
そして、それは個人に因り大きく変わります。

だというのに、出来ない人に「いけない人間」というレッテルを貼り
「する事が当たり前に『決まっている』」と決めつける考え方が顕著に見られます。

筆者は、それが非常に腹立たしい。

極端な云い方をすれば、「やりたければやれば良い」と思います。

勿論、「こういう事をしているから、協力してくれませんか?」というのは除きます。

そうではなく、「おれはこうしているから、こうするべき」とか
「おれはこれだけの事したんだ」というブログの記事など、そういうものが気に入らない。

やりたきゃやれよ。人に云わず、強要せず、黙って速やかにな。
自己満足で「助けてもらわれる」のなんざ、呆れる事すら出来ねぇ。

助けて「あげる」のではなく、助けて「もらわれる」のでもなく
助けれる人が助けれる対象を助ける。それで良くはありませんか?

人助けごっこは、他所でお楽しみ下さい。

誤解のないように一言添えさせて頂きますが
決して援助行為、または内容に対し文句を云っている訳ではありません。

ただ、「義」援なのか「偽」援なのか問いたいだけなのです。

流れというか波というか、大きなものに流される事は、「時には」必要な事であります。

それでも、「こういう事」は、流されてする事ではありません。
しっかりとした自身の「意志」で行う事です。

『便乗して、さりげなく見返りを求めるなど、言語道断なのですから』

「人を呪わば穴二つ」と云います。

利用すれば、利用されるのは自身であるという事を、常にお忘れなきよう──。
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by ryu-cat | 2011-03-31 22:28 | 日常雑記 | Comments(0)


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