roots。

「そこ」に在ったとは。



先日書いた、「有名な占い師さん」に会ってきました。
結論から申し上げますと、「信用に足る」人物で御座いました。

別に筆者しか知りえない情報を云い当てられたなどという訳ではありません。
むしろ、その点に関しては、「やや的外れであった」と思われます。

では、一体何が筆者を信用させたのか。

それは「思想」です。

「有名な占い師さん」というのは易者さんだったのですが
その「易経」が、話を聞けば聞くほどに、「筆者の思想そのもの」だったのであります。

何故か話が弾み、都合二時間半前後雑談をしたのだけれど
途中で挟まれる、「易経とは」とでも云いましょうか
とにかくそういう易経についての話を聞いていると
面白い事に、普段筆者がここで書いているような事を易者さんが云うのです。

筆者の為に解り易く、噛み砕いて説明をしてくれるのですが
噛み砕かれるまでもなく筆者は十二分に解っているものですから
嬉しさと楽しさのあまり、思わず顔がほころんでしまいました。

初めて易経についての知識を得たのだけれど
知らず知らずの内に、自ら「そこ」に辿り着いているとは思いもしませんでした。

真剣に「易者さんになろうかな」と思いましたね。

ともあれ、「自分の思想」と同じであり
尚且つそれに「膨大な経験と知識」がプラスされるのであれば
「自らの理論が立証されるのか試してみたい」です。

ああ、それと筆者の易断結果も書き記しておきましょう。
大雑把なものですが、こちらに関しては「的を射ている」と思いますので。

・今は何をしても運が無く、全て空回りし、裏目に出るようになっている。
・真面目で誠実だが、どれだけ努力をしても半分も評価が得られない。
・何かあっても味方になって守ってくれる人が周りに居ない。
・云いたい事を上手く伝えられず、逆の意味として受け取られてしまう。
・特に秀でた才能は持って無い。※しかし、やれば実を結び、結果がついてくる。

要点は、この五点でしょうか。

「運が無い」は、正に前回書いたところですね。
まあ、「やっぱりか」という感じです。

「評価が得られない」については、ブログで書いたかどうかは忘れてしまいましたが
筆者と会話をした事がある人ならば、一度は聞いた事があるかも知れません。

筆者は何をしても「良いとも云われないし、悪いとも云われない」のです。

そういう意味で、「本当に評価が得られない」訳であります。

「味方になって守って」が、少し解釈の仕方を変えないと誤解を生むのですが
「上手く伝えられない」と合わせて、筆者は他人に悩みを話しませんし
話しても違う受け取り方をされるので、「味方になろうと思えない」のだと思います。

「評価も出来ないし、嫌な云い方をする」から、当然「周り」には誰も居ません。

「才能が無い」は何度も書いていますね。
悲しい限りですが、「天性のものはない」と常に痛感してきましたし。

※マークを付けていますが、これは祈祷後という意味です。

筆者は占いでは「九紫火星」というものに属するらしいのですが
筆者の場合、その「九紫火星」が上手く現れていないらしく
それを表に出してやれば、五番目以外は全く逆になるようです。

はい、才能だけは決して変わりません。
才能以外も、「ただ元通りになるだけ」なのですが。

ただ、「何をしても結果が出ない」というだけで、本来なら人間は腐ってしまいます。

もし筆者と意識を共有する事が可能ならば
共有した人間は一週間もすれば声を上げて発狂し、廃人になってしまうでしょう。

今までに「透明人間になったら何をする?」と聞かれた事があるかと思われますが
筆者の気持ちは常に「透明人間になった気分」です。

「何をしても『何もかもがするりと通り過ぎる』」のですから。
それが無くなるだけでも、どれだけ素晴らしい日常を送れる事か。

「我慢ばかりして生きるのは、もう限界を超えて拷問に近くあります」

筆者の「思想」は、果たして筆者を救うのでしょうか。
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by ryu-cat | 2011-02-10 21:29 | 日常雑記 | Comments(0)


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