蒸発。

存在が希薄になってゆく。



人間が行方不明になった時、「蒸発した」と表現される事が在る。

蒸発とは本来、液体が気化する現象の事だけれど
「そこに在ったものが無くなってしまう」という共通点から
「蒸発」という言葉をもって表現される。

どうしましょう、筆者も蒸発してしまいそうです。

──まあ、どうもしませんが。

幸か不幸か、筆者の存在は蒸発しないだろうと思われます。

ただ──魂というか精神というか、それらが今、さあっと風に流されてしまいそうなのです。

ああ、こういう話の時は何度もこう書きますが
「筆者は断じて、落ち込んだりはしていません」ので、ご了承下さい。

さて、本題に入りたいと思います。

筆者には、才能というものがありません。
他人に自慢出来るような事が何一つありません。

しかし、人間には確実に何かしらの才能が在ります。

それは勿論、筆者にも適用されます。

ですので、現在は何も出来ないとしても、「何か出来るはずだ」と信じ
いつかその才能が発露するよう、手探りで足掻き続ける所存であります。

隣の芝は、それはもう青々としておりますが
芝は青いものであり、それ自体を妬むなどナンセンスの極み。

そんな心をしていては、育つものも育ちはしません。

・・・・・・少し暴言を吐きます。

不細工と云われる人は、心が不細工だからだと筆者は思います。

外見が全てではありませんが、外見というものは、心を反映すると考えます。
卑屈になればなるほど心が腐り、その心を基に外見がつくられてしまう。

綺麗な人は、外見がどうであれ素晴らしいものです。

おっと、顔のつくりの事ではありませんので、誤解される事のなきよう。

例え顔のつくりが良くても、心が腐っていれば
何処かの部位にその汚さが出るようになっているものですから。

「冷蔵庫を見れば、その人の事が解る」などと似ていますかね。

気にしていないところに出ているものなので。

ともあれ、筆者は「何も無い事」に対して焦燥感を覚える事はありませんでした。

ですが、とてもとても不安で堪らない日が増えてきたのです。

そうですね・・・・・・歌で例えてみましょう。

筆者は音楽が好きなので、カラオケに行く事が好きです。
でも、歌の才能はありませんので、人に褒められるような歌唱力は持ち合わせておりません。

それでも歌うのは好きですし、歌えればそれで構いません。

構いませんが、そう思い始めると、だんだん声が出なくなってくるのです。

好きな事で、その才能があれば本当に嬉しかったのだけれど
それでも下手なりに満足していたら、「それ自体が出来なくなっていく」訳です。

ここしばらく書いていないブログでも同じ現象が起きています。

文章が纏まりそうになると、それなりの文字数を書くのですが
続きを書こうとすると、指がもう動かなくなっているのです。

「詰まる所、これはスランプなのでは?」とも思うのだけれど
どうしてか、スランプという言葉では片付けられない気がして仕方ありません。

筆者の中に在るものが、次々と蒸発してなくなっていっている気がするのです。

──去年の年末、一ヶ月ほどブログを放置してこう書きました。
「判断能力が著しく低下していた」と。

判断能力すら、この蒸発現象に因って「希薄になっていた」のです。

歌う事も書く事も物事の判断をする事も、全てが霧のように成り消えてゆく。
自分を自分と認識する為のものが、筆者から一つ、また一つと無くなってゆく。

そうして、空になったところには、喪失感がなみなみと注がれる。

喪失感で満たされた時、自分は一体どうなってしまうのか?
・・・・・・と、冷静に客観視する自分が居る。

何なんだ、「こいつ」は!?

「こいつ」は冷たいものを温かいと云い、黒いものを白く感じるように努め
あろうことか、「どちらがどちらだったか忘れてしまった」のだ!

「これ」はもう、人として生きられないのではないのでしょうか。

才能がないから悲しく思う訳ではありません。
一人が寂しいから、押し潰されそうになっている訳でもありません。

「何も思わない」から、「自分で在る事が出来ない」から
そして、それに「はっきりと気付いてしまった」から堪らないのです。

これは文字通り「致命的」だと思います。

本当に、筆者自身「どうして生きていられる」のか不思議で仕方ありません。

胃の痛みや偏頭痛、喉の圧迫感とそれなりに身体に影響が出ているようだけれど
頑丈過ぎるせいで、倒れる寸前でなんとか持ちこたえてしまう。

倒れてしまえないのが、正直、辛い。

・・・・・・あまりこういう事は書きたくなかったのだけれど、我慢するのが面倒になりました。

筆者はキャラクターがキャラクターですから、元気のない感じは見せられなくて。

特にSkypeでは、「いつも笑っている」と思われているものですから
辛い時に相談事をされた時でも、声のトーンを下げてしまっては、相手が心配してしまう。

──そうか、これを「ミイラ取りがミイラになる」と云うのかな。

昔の人はよく云ったものですね。

ああ、たらたらと書いていたら、とても長くなってしまった。
そろそろこの辺りで止めておく事にします。

沢山文字を書いたら、少しだけ楽になった気がします。
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by ryu-cat | 2011-01-19 21:11 | 日常雑記 | Comments(0)


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