毒空木。

相成るべくは、その実に手を伸ばさぬよう──。



先日、遠藤周作の「海と毒薬」を読み終えました。

ええと、簡単にあらすじを説明しましょう。
戦争中に敵国の捕虜を実験の為生きたまま解剖する話です。

感想も書いてしまいましょうか。
正直良く解らなかった。

・・・・・・冗談じゃあないですよ?

半分は「本当」ですから。
「本当」の部分とは、人が死ぬ事についてです。

以前の仕事で「死」に触れ過ぎたからだと思うのですが
「人が死ぬ」という事で、悩んだりする事が「出来なくなってしまっている」のです。

そうですね──例えば、学校の先生は毎年卒業式を経験しますよね?

何回経験しても、卒業式というものは感動するのだろうと思いますが
もしそれが、毎年では無く「毎日」行われたらどうでしょうか?

いくら涙もろい方でも、一週間もすれば慣れてしまうと思われます。

勿論、「卒業おめでとう!」と思いはするでしょうが
毎日心の底から、同じ気持ちで同じ言葉を云う事が出来るでしょうか?

非日常が日常に成ると、「割り切れてしまう」のです。

そして、じんわりと感覚が麻痺してくる。

筆者も初めの頃は毎日「悲しいなぁ」と思いましたが
感情が溢れて発狂し嘔吐する寸前で、一線を越えてしまったのです。

それからは泣かれようが叫ばれようがクリスマスに子供が死のうが平気でした。

ええ、「人として終わった」と実感しましたよ。
その一線は毒のように全身を蝕み、あちらこちらを腐らせてしまった。

貴方なら、解毒の出来ない致死量の毒に侵されたと知った時、どう「居れますか?」

「いっその事、死んでしまいたい」と思うのでしょうか。
ですが、この毒は「致死」ではありますが、「即効」ではありません。

そう──数時間で進行しきる癌のようなものなのです。

何時死ぬかは解らない。でも、何時か死んでしまう。
だが、その「何時か」まで「生きなければいけない」

甘い希望と絶望とが、毎日目の前で天秤に掛かっている。

「海と毒薬」の「毒薬」の部分は個人的にこういう事ではないのだろうか、と思っています。

残りの半分は、解らないというより「確定出来ない」とでも云いましょうか。

善だとか悪だとか、強いだとか弱いだとか、そういう事で決めてはいけないと思うのです。

「殺す」という事は、自然な事だと思います。
生き物は殺さないと生きていけないのですから、そこで思考を止めてはいけません。

何をするにも重要なのは、「どうするか」なのです。
何を経験し、何を感じ、何にぶつかり、結果「どうするか」

『選択する事』の重要性が解らない間は、とにかく空回ります。

しかし決まればぴたりとはまる。

「Going my way」と云いますが、行く道など初めからそれしか無いのですよ。

考えるべきはペース配分なのです。
自分が全力を維持し続けれる、そんなペース配分。

その中で、我々は犠牲を理性に昇華させていけば良いのだと思います。
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by ryu-cat | 2010-09-22 21:57 | 日常雑記 | Comments(0)


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