世界の終わり。

「ズレ」は大きな「ヒビ」となり──。



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浅野いにおさんの「世界の終わりと夜明け前」を買ってきた。

本当に良いから、皆一度は浅野さんの漫画を読んで──。
とは云わないでおこうと思う。

ううん、浅野さんの作品は素晴らしいものばかりだよ。

ただ、今更というか何十回目というか、「決定的に気付いた」んだ。

先日、約二年ぶりに、十五年以上付き合いの在る友人と会った。
しばらく会わなかった間に、その友人は犬を飼い始めていた。

とても毛並の珍しい犬だった。

その犬の事で話をしていると、「子犬が産まれたらどうするか」という話題になった。

友人は「あの毛並は珍しく、一匹五万くらいで売れる。だから売るかな」と云った。

筆者は「何匹産まれても売りはしない」と云った。

しかし友人は「あの毛並を残す為にも、増えた時はそうする」とやはり云った。

筆者は「動物は売り買いするものじゃないよ」と心の中で思った。

友人は落ち込み気味な両親を癒す為に、その犬を買ったというのに。

それを知りながらも、筆者はそう思った。

また別の日には、何気なく立ち寄ったトイザらスで
アルテミア(シーモンキー)の育成キットを見付け
高校時代に流行った事を思い出しながら箱を見てみると
「インテリアとしても」といった表記がされていて、無性に腹が立った。

生物をインテリア呼ばわりするなんて、全く理解出来ない。

それならば、犬や猫もインテリアなのか?

同じ生物なのだから、差異は認められないでしょう?

小さな生物、例えば蟻などをいくら踏み潰しても良いのであれば
銃を持ち無差別に人を殺して回っても良いという事になるのです。

と、そういう極論を少しだけ人に説明したら
愛想笑いをされて流されてしまうという日々が続いたり。

疲れてきたのだろうと思います。

筆者も、筆者に関わろうとする人達も。

いくら叫んでも、確実に他人との間に「ズレ」が生じてしまう。

伝えたい事は山ほど在るのだけれど、口を開いても、言葉が出なくなるよ。

一人、いや、二人くらいかな。

まだきちんと「聞いてくれる」人は。

別にそれ以外の人が「話にならない」という訳ではないのだけれど
「あるライン」で身を引くのが解ってしまうのです。

仕方の無い事なのですけれどね。

例えば、みかんを食べる時に維管束(白い筋)を取る人は多いと思います。

それからじょうのう膜(袋の皮)を取る人も極稀に居ます。

ですが、砂じょう(つぶつぶ)を一つ一つ解体する人は、皆無に近いでしょう。

筆者と接するという事は、その最後の行為です。
大半の人が、そんな面倒臭い事など、途中で放り出してしまう。

でも、本来はそんな事をしなくても良いだから、止めても仕方ありません。

・・・・・・仕方ないのです。

難しい事を、「そのまま難しく考えていられたら」と思う時があります。
そうすれば、叫ぼうと思う事も無いですし、何も「枯れて」しまいません。

気付いたら「さようなら」なんです。

人が気付かない事に気付くのではありません。
気付くべき事に気付き、気付くべき「自分」に気付くのです。

そうして気付けば、そこが「世界の終わり」

「終わり」といっても断崖絶壁ではないし、「世界」といっても全てではないのだけれど。

ああ、正直しんどい。

しんどいから、現実逃避してベースの練習をしたら楽しかった。

ちくしょう。
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by ryu-cat | 2010-08-26 21:58 | 日常雑記 | Comments(2)
Commented by 鈴鹿 at 2010-08-28 09:23 x
自分を本当の意味で理解しようとしてくれる人って少ないよね。例え肉親でも理解されない事もあるし…。でも、そこで止まっちゃったら何も変わらないよ 叫び続けなくちゃね
Commented by ryu-cat at 2010-08-28 21:58
おれの場合、肉親が一番「?」となる事が多い・・・・・・。

他人は「流す」から。

人と関わるのも、説明するのも至極面倒になるよ。

ホンマにさぁ!ちくしょうだ!


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