十人十色。

何が「知りたい」の?



ここ一週間、毎晩お酒を飲んでいる筆者ですこんばんは。

在り得ない。うん、在り得ない。
お酒は嫌いじゃないけれど、こんなに毎日飲むなんておかしい。

それもこれも、「歩ける状態」だと危ないからなのですよ。

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だからまた買ってきてしまいました。

浅野いにおさんの、「ひかりのまち」と「虹ヶ原ホログラフ」です。

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「虹ヶ原ホログラフ」は解説をされている方が居る程に難解らしく
もはや漫画の域を出ているように感じました。

確かに、この作品は少し難解かも知れない。

いえ、厳密に云えば、「難しい事は何も無い」のですけれどね。

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帯に書いてある、この言葉通りなのですよ。

浅野さんは「本当に解っていらっしゃる」

ええっと・・・・・・今からとても誤解を招く書き方をします。
筆者の足らない頭では現在こういう伝え方しか出来ず、誠に申し訳ありません。

さてと。

先程書いたように、「虹ヶ原ホログラフ」は解説が必要とされています。

ですが、この作品だけではなく、曲の歌詞の意味なども含め
他人に「どういう意味なの?」と聞く方には、浅野さんの作品は理解出来ないと思います。

「そのままに受け取らないで下さい」ね?
挑発している訳でも、見下している訳でもありませんので。

ただ、本当に「帯の通り」なのです。

これは偏見でしょうし、聞く前にご自分で考えられたのだろうなとは思うのですが
「他人に意味を尋ねる人」は、どうも「自分の意志」が弱い人に思えて仕方がありません。

作品というものは、勿論「意味」や「想い」が込められています。

出来る限り「それ」をそのまま受け取りたい気持ちは解らなくはないのですが
作品は「それぞれが受け取るもの」だと筆者は思うのですよ。

例えば──恋愛の曲が在ったとしましょう。

恋人と上手くいっている人が聴けばそれはラブソングになりますが
失恋したばかりの人が聴くと、別れの曲に聴こえてしまうと思います。

受け取る側の心境が違うとこうなるのですが、「どちらも間違ってはいません」よね?

「そう思えば、そうで良い」のです。

意味は他人から教えられるものではなく、「自分が見出すもの」なのですから。

勝手ながら、浅野さんの作品は「自分が生きる方法」の模索だと思います。

そして、その為には、どうしても「強い意志」が必要。
「気付いた」時、自分を保つのはその意志しかない。

皆確実に、一度は「気付いている」んだ。

「見て見ぬふり」をしているだけで──。

生きる事は死ぬ程に簡単で、死ぬ事は生きるよりも簡単。

「本当にそうなんだよ?」

「嘘だと思うのなら、死んで見せましょうか?」

解ってもらえるかなぁ・・・・・・。

しかし、「そうして生きる」のは案外に辛いのだけれども。

そう生きると、もれなく「お化け」になってしまうから。

何を叫んでも誰にも届かず、触れる事も触れられる事も叶わない。

まるで海の底を目指して潜り、いつしか押し潰されてしまうような
耐え難い孤独と圧力に抵抗し続けなければならなくなる。

でも世界は「そこ」だし、見るべきものは「それ」なのです。

そして決めるのは「貴方」

どう生きるかは「それぞれの自由」で良いのだけれど
「嘘は吐かない」ように、もう一度、今一度「貴方を見付けて」下さい。

しっかりと「貴方や僕で在り得る為」に。
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by ryu-cat | 2010-07-28 20:24 | 日常雑記 | Comments(0)


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