心を砕け。
本日七月二日、筆者は二十八歳になりました。
あまりめでたくはありません。
筆者にとって年齢は「単なる数字」でしかなく
厳密に云えば「めでたくなくすらない」訳ですが
「まだ何も出来ていない」ので、余計に宜しくないのです。
そこで筆者は考えました。
いえ、「考えて」いました。
二十八歳になったら「リスタート」しよう、と。
そして、三十歳までに「何かやろう」と思うのです。
・・・・・・全く意味が解りませんね。
筆者はこれまで、何かに対して全力を注いだとか
他人から良い評価をされたという事が殆ど在りません。
ずっと「それとなく生きている」訳です。
そして、それがこれからも続くのは、非常に面白くない。
それならば、何かやってやろうと。
しかし、筆者は面倒くさがりなので、余裕が在ると結局何もしません。
そこで余裕を無くす為に、「三十歳まで」という期日を設けました。
ですが、タイトル通り「粉骨砕身して、心を砕くほど」には、それでは足りない。
どうすれば良いか──。
「死ぬ気で頑張るのだから、駄目なら『死なないといけない』よな」
そういう事で、三十歳までに「何もやらなかった」場合
筆者は「人生を綺麗さっぱり諦めてしまおう」と思います。
誤解を受けそうですが、我ながら非常に前向きだと考えます。
──本当にさ、年数というか時間なんて関係ないのだけれど
ともあれ今まで何も出来ていないというのは、困った事に変わりはないし
その状態で生きていくのは、どうしてもどうしてもごめんなんだ。
だって、そうして年だけ重ねていくという事は
自分自身が許さないし、また、とてもじゃないけれど、見ていられない。
そんなおれに、三十歳以上の人生は要らないと思う。
在ったって、ただじわじわ食い潰していくだけだ。
勝負は今から、代償は「これから」
ああ、そうだ。
こんな筆者でも、今まで沢山の事について考えていまして
そうして考えた結果が「信じるよりも、まず『自分』を疑え」なのですが
その事について書いた記事を三つ、ここへ置いておきたいと思います。
めぐるめぐる。
曇る日曜日。
影法師。
「自分を疑う」きっかけにでも。
今在るものとは「違う選択肢」が出てくるようになるかも知れません。
さて、せっかくの誕生日だし、ケーキでも食べたいものだなぁ。
ホールケーキを二つばかりむさぼり食べたい。
朝昼晩と三食ケーキにすれば良かった。