十二分。

「使われる」のでは無く──。



少し前から気付いてはいたのだけれど、視力が落ちてきている。

徹夜で六時間くらい本を読み続ける事が多いからかも知れない。

つい先日もそんな日が在り、そうして東野圭吾さんの「宿命」を読み終えた。
東野圭吾さんの作品を読むのは、「宿命」で六作品目になる。

「宿命」もそうだけれど、東野さんの作品は、とても「感情移入がし易い」と思う。

気付くと「自分が主人公になっている」のです。

一応お断りしておきますが、「そのままの意味」で受け取らないで下さいね。

「どうしてだろう?」と思いながら最後の解説を読み
そこで改めて「流石だなぁ」と感嘆しました。

これだけ「きっちりと作られている」のであれば、「こうなる」のは極自然。

作品への熱意というか誠意というか、非常に「心」が込められている。

何事にも云える事ですが、同じ「もの」を使っても
使う人によって、それはもう大きな違いが生まれてくるものですね。

「主人公になっている」という「視点」に関して云えば
井坂幸太郎さんの作品は、「視点変更の連続」だと思います。

本来主人公は主に一人なのですが
伊坂さんの作品では「登場人物が皆主人公」なのです。

「一つの視点で見る」というよりは、「一つを皆で見る」とでも云いますか。

AとBを線で結ぶのでは無く、沢山の線が交差した「点」が鍵なのです。

さらに「鍵」と云えば、京極夏彦さんを挙げずにはいられない。

京極さんの作品は正にパズル。
そう──それは壮大なジグソーパズルなのです。

例えるのなら、何も置いていない、十畳くらいの部屋に自分だけが居て
そこに大きめのダンボールが一つ運ばれてきたかと思うと
目の前で、ダンボールの中から大量のジグソーパズルのピースをぶちまけられる。

「こんなの無理だって・・・・・・」と思いながら、一つずつピースを合わせていくと
いつしか床一面に、綺麗な海の一面が出来上がっていたりする。

数え切れないくらいのピースが、「一つも無駄にならず」完成に関わり
予想はさせずに「示唆を与える」事で納得させてくれる。

途中で心が折れそうになってしまうのだけれど、「読まないと損をする」

「そうだったのか!」と思いたいのであれば、是非読んでみて欲しいです。

もし、もっと純粋に「文学」を読みたいのであれば──。

筆者は江戸川乱歩さんを推して推して推し通してから、尚も推したい。

江戸川さんの言葉は、同じ紙、同じインクで印刷したとしても
文字の一つ一つが語りかけてくるように書かれているのです。

「内容の濃さ」が尋常ではありません。

これこそ正に「文学」であり、「ものを書く」という事なのだなと思います。

「使われる」のでは無く、「使っている」と心の底から感じる。

車でも楽器でも、どんなに高価だろうが高性能だろうが
「解らず使っている」のでは、真価など発揮出来ません。

逆に「解れば、『どんなものでも化ける』」のです。

小説などは「言葉の表現」しかありませんので
その「言葉の化け方」を見るのは、大変に楽しいし、為になります。

「一切小細工のされていない言葉」が世の中に広まる事を、筆者は切に願います。
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by ryu-cat | 2010-06-30 22:20 | 日常雑記 | Comments(0)


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