差異。

在ってはいけない。



今日ラジオを聴いていたら、こんな話題が耳に入ってきました。

「もし宇宙人に遭遇したら、どうするか?」

あらびっくり、どうしましょう?

筆者なら、息を殺してしばらく観察しますね。
何かしらの情報を得ないと、接触出来る相手なのかどうか解りませんし。

意志の疎通が出来るようであれば、その後接触を図ります。

こういう風に、「自分ならこうする」といった意見が沢山寄せられており
その話題の途中、筆者を釘付けにする一言が発せられました。

「宇宙人と地球人の違いってなんでしょうね?」と。

宇宙人といえば、映画のように、手や足が沢山在るとか
体が物凄く大きかったり小さかったり、そういうものが、まず、イメージされると思います。

要するに、自分達「人間」と「かたち」が異なるもの。

それでは、全く同じ「かたち」をしていたらどうでしょうか?

すると、次の判断材料は「色」や「言語」になるかと思われます。

「髪の毛の色」「瞳の色」「肌の色」、そして「言葉」
これらが違っていたら、それは「宇宙人」になりますか?

恐らく、殆どの方が「そうはならない」と仰る事でしょう。

何故?

国が違えば、「人間」も違ってくるからです。
いえ、国が同じでも「人間」は違ってきます。

つまり、宇宙人と地球人の違いなど「無い」のです。

「人間とは違う」という理由で基準を決めるのであれば
地球上に存在する「人間以外のもの」は全て「宇宙人」でなければいけません。

動物は勿論、魚や植物、微生物に至るまで。

「それは宇宙人ではなく、人間とは違うだけ」と仰るのであれば
「人間」と「それ以外」の基準は何になるのでしょうか?

同じように目が在り口が在り、心臓を動かし、何かを食べている。

植物は違う?

そうですね、植物は光合成が主なので、「食べる」事はしません。
感覚器も、他と同じものは在りませんし。

ただ、どれも「生きている」という事は変わりません。

宇宙人とか地球人とか、人間とか動物とか、そういった「括り」は要らないのです。

筆者の命は、蟻一匹や雑草一本と、何一つ変わりません。
便宜上、呼称が違うだけであって、「根本的なところ」は同じです。

本当に、これは十年くらい考えているので、もう一度云わせて頂きます。

「呼称が違うだけで、それぞれの価値に優劣など在り得ません」

世間一般の考えで云えば、宇宙人が目の前に現れるのも
海外の国の方と街中ですれ違うのと、一切差異は無いのです。

しかし、自分と違うからといって、「そういう目」で見てはいけません。

筆者は一緒に暮らしている猫の事で、「ペット」とか「エサ」とか
「飼っている」などと云わないのですが、常にこう思っているためです。

この猫は、筆者と同じだけの「命」を持っているのですから。

「括り」という「柵」を無くせば、皆立っている地面は同じなのです。
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by ryu-cat | 2010-06-22 21:59 | 日常雑記 | Comments(0)


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