人生ゲーム。

さいころは要りません。



時間は瞬間の連続です。

一時間は一分間が六十回連続した結果であり
一分間は一秒間が六十回連続した結果です。

例えるなら、アニメーションの様なもの。

結果を見れば、それはとても瞬間とは思えませんが
工程を観察すれば瞬間の連続であるとすぐに解る。

それはつまり、人生も瞬間の連続で構成されているという事なのです。

そして、人生というものは「瞬間的な選択の連続」をする事だと思います。

人生は案外簡単に出来ているもので
コツが解ると、まるで小学生の宿題を解く様に、スラスラ答えが出てきます。

コツと云っても、大したものではないのですが。

以前書いた様に、何かを選択する際、答えは確実に二つ出てきます。

勘違いしてはいけないのが、「答えはあくまで答え」であって
「正解ではない」という事を常に意識しておかなければいけません。

数式やクイズの様に、あらかじめ正解が設定されていない限り
「この世の中に正解なんて一つも存在しない」のです。

常識や当たり前といったものが何故かよく正解と間違われますが
大多数の支持があるだけで、何故正解になるのでしょう。

よく考えてみて下さい。
「常識」や「当たり前」がどういう状況で発せられるか。

アインシュタインはこう云っています。

「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションの事をいう」

十八歳というのが少し気にはなりますが
十八にもなればもう大人で、それぐらいの分別は出来ると云いたいのかも知れません。

常識に当たり前、永遠に絶対。
残念な事に、こういった言葉が簡単に発せられ過ぎている様に思います。

必要な言葉ではありますが、覚悟を持たずに云える言葉ではありません。

ともあれ、答えが二つならば、選択肢も二つ現れます。

解り易い例題を挙げてみます。

あなたは電車で空いていた席に座りました。
混んでいる時間帯だったので、座れたのはラッキーでした。

乗車した次の駅に停まった時、お腹が少し大きくなった女性が乗ってきました。

座れる席を探した様ですが、混んでいるので空きは全く無く
諦めて、あなたの近くでつり革に手をかけたみたいです。

さて、どうしましょう。

ここでの選択肢は「席を譲る」か「席を譲らない」かですね。

「席を譲るのが常識」というのは無い事にしておいて下さい。

確かに「席を譲るという行為」は良いのですが
「常識だから」ならば、もし仮に「座席は座った人を優先して譲る必要は無い」
といった「常識」だった場合、「常識だから譲らない」となってしまいますので。

「約束だから守る」のではなく、「約束をしたから守る」のと同じです。

決めるのは何時だってあなた自身でなければいけません。

では、このケースを考えてみましょう。

あなたは混雑していて普段は座る事の出来ない状況で座る事が出来た。
ラッキーだと感じる程なので、可能ならこのまま座っていたい。

しかし、先程の女性は恐らく妊娠しているであろうし
そんな体で座らずにいる事は、相応に負担がかかるだろうと予想出来る。

座席を譲ったからといって、報酬が貰える等といった利益は無い。

自分以外の乗客は、女性を気にしてすらいないと思われる。

ならば、自分が座席を譲らないとしても、女性は何も思わないかも知れない。

思われたとしても、非が在るのは自分だけではないし
ここで女性が誰かを責めたとしても、嫌な気持ちになるのは女性の方であろう。

これが席を譲りたくない場合。

可哀想に、立っているのはしんどいだろう。
自分が立てば空くのだから、代われば良い。

これが席を譲る場合。

この二つが、一瞬にして頭に浮かび上がるのです。
まるで、ゲームのコマンドの様に。

→「譲る」 「譲らない」

といった感じで。

そして、上手に選択するコツは、「自分が損をする方を選ぶ」事です。

人間は自分が可愛いので、他人の利益を自分の不利益と考えます。

なので、「自分が損をする方」に本来すべき事が詰まっているのです。

何度も云いますが、どちらが「正解」とかではありません。

もう一つ、解り易いものを紹介しましょう。



作られた物語ですが、素晴らしい表現がされています。

「くるみ」良いですね、「くるみ」

こういった風に選択出来ると素敵なのですよ。

最後にまた一つ、良い言葉を載せておきたいと思います。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットではコメディだ」
byチャーリー・チャップリン。
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by ryu-cat | 2010-04-15 21:53 | 日常雑記 | Comments(0)


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